大阪で、納骨・祈祷のお寺

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髪なし007リレーブログ | 永代供養・納骨のお寺なら【大聖寺/不動寺】

2013年7月22日

日に日に、暑さが増してまいりましたが皆様、如何お過ごしでしょうか。 さて、早いもので七月を迎えお盆の時期になりました。関東では七月にお盆の棚経を行っています。関西でも七月にお盆のお参りをされる、お宅が年々増えてきておりますので、大阪で七月にお盆参りをされても、仏様がまだ帰ってきていない、と言うことはありませんので七月も八月もお盆の時期であると認識して頂いて結構です。 これからお盆の準備をされる方へ、色んなお供え物がありますが、まず最初に自分自身のお気持ちをお供えする事を大切にして、これからの供養につとめて下さい。

 

尚 大聖寺施餓鬼供養は十日の十時、十二時、二時 十一日の十時、十二時、二時 十二日の十時、十二時、二時 十三日の十時、十二時、二時 十四日の十時 十五日十時に行っていますので、お間違えのないようお願い致します。


2013年7月6日

昨今、パワースポット巡りといって、神社仏閣などに参ることがブームになっています。
心を癒やし、心をリセットして、パワーを充電したり、特に、若い女性の間では、縁結びの神社に行くことが流行しています。
しかし、自宅でも、毎日、数分で、心にパワーがみなぎり、しかも、日本人が先祖伝来、行ってきた方法があります。
皆さん、それは、どんな方法だと思いますか?
それは、家に先祖代々の位牌を祀り、先祖供養をすることです。
今まで、先祖や死者の供養は、本家や、家族が亡くなった家だけが行うことだと思われていました。
しかし、現代の我々の社会は、少子化、非婚化で、家父長制度が成り立たなくなっています。そこで、日本人の信仰心を取り戻す意味で、各家庭で個人個人が先祖供養をすることは、大いに意義のあることだと思います。
位牌を祀る場所を掃き清め、家庭の中にパワースポットを作ります。そして、死者、先祖の魂を感じ、自らの魂が打ち震えるような体験をし、そこから、神仏へとつながっていく確信を得ることで、心の中にパワースポットを作るのです。
日常的な生活の中に、先祖供養という非日常的な儀式を取り入れることで、毎日、数分足らずの時間が、信仰、祈り、瞑想法、健康法、自己啓発法、開運法の実践となることでしょう。


2013年5月4日

アベノミクスの効果か、円安株高になり、輸出関連の企業では、ボーナスも満額回答がでている。又、別の職種では給料も上がったりしている。うらやましい限りである。百貨店では、高額の商品、特に宝石や貴金属も、よく売れているらしい。

すでに、大人の日本人女性の宝石・貴金属の保有率は90%を超え、平均保有率も七個を超えているいう調査結果がある。人間の欲望はきりがない。

宝石、貴金属、ブランド品、高価な化粧品、テレビの通信販売でも買えば買う程、持てば持つ程、欲しくなるものである。

宝石・貴金属を全く持っていない人より、少しでも持っている人の方が購入意欲が高いようである。物に限らず精神面でも、相手に対する、欲求はキリがないようである。仏教ではこれを渇愛とよんでいる。好きになればなる程、もっと強い愛情を相手に求めてそのジレンマに悩むのである。これを防ぐには仏教の教え、少欲知足しかない。無制限な欲望をもたず、足る事を知らねば、常にその渇いた愛のために精神を犠牲にしてしまう。

 


2013年4月8日

 春は別れと出会いの季節です。新たな場所で生活が始まる人、そして不安と希望でいっぱいだと思います。

そこで一ついい方法が有りますそれは、自分の中に無かった考えや見方、聞き方を取り入れてみること、これは簡単に言えば、人の意見を

素直に受け入れると言うことです。自分が正しいと思っても他の人達が、それはどうかな?と言われたら少し考えてみるとか、皆自我を持って

生まれ、その自我を変えて生きて行くものではないでしょうか。

 自我を無くすのではなく、自我に新しい考えや教え、聞き方をプラスすることによって新たな自分に成るのだと私は思います。

新人さん、今年を先ず自分自身の為に頑張って下さい、そして初心を忘れずに、来年の今頃は貴方が先輩に成るのだから。

 今年は巳年、へびが脱皮をするように今年一年を頑張った分自分自身何かが変るはずでしょう。

 


2013年3月15日

 東日本大震災から二年が経ち、原発も含めたこの国の向かうべき方向に、新たな局面が展開される春の訪れである。厳しかったこの冬だが、ここの処の暖かさに、身の回りの草花も確実にその変化を感じ取っている様である。

 三月も半ばを過ぎ、もうしばらくすると昼夜の長さがほぼ同じになる春分の日が来る。その日を挟んで前後三日間の一週間を彼岸といい,日頃の慌ただしさを少しうっちゃり先祖の霊に向き合い、想いを馳せる日にしたいものだ。

 彼岸は「到彼岸」という言葉に由来し、インドの文語体であるサンスクリットの「パラーミター」を漢訳したもので、迷いのない悟りの境地を意味する。それに対し、我々が生きている煩悩に満ちたこちらの世界を此岸といい、こちらからあちらへ日々努力する事を到彼岸という。やがて彼岸を死後の安らかな世界である浄土と捉える様になり、この風習が定着していったようである。これはまた太陽の動きと関係があり、極楽浄土は西の方向にあると考えられ、沈み行く太陽を見て浄土を想い描き、江戸中期以降に「仏教でいうところの六波羅密の修行」という事で七日間とされ、おおいに普及していったらしい。大阪の四天王寺界隈は、その昔夕日を拝む人々で賑わったらしい。

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる様に、此の時期は季節の変わり目。太陽と先祖に収穫を感謝し、豊作を祈るという意味合いにおいて、他の国になく、我が国独自の風習で、農耕文化に根ざし、太陽信仰とも密接に結びついたからこそ、広く定着していったと思われる。

 この時期、心しずかに祈りたいものである。