大阪で、ぼけ封じ・納骨・祈祷のお寺

  • 亀老山 大聖寺
  • 大阪のお寺
  • 真言宗 不動寺

2011年6月15日

納骨の在り方

その昔、道照という和尚さんがおりました。この和尚さんは、遣唐使の随行として中国に渡り、日本に中国の文化を伝え広められた方で、中国にいた頃にかの有名な玄奘三蔵に出会い気に入られて弟子となって、しばらくの間同じ部屋で過ごしインドより玄奘が伝えた仏教の教えを受けたそうです。日本に帰国してから、その和尚さんは奈良の飛鳥寺の南東の隅にお堂を建てて、そこに住むようになりました。すると、中国より持ち帰った仏教のすばらしい教えを学びたいと多くの人々が和尚さんを訪ねたのです。和尚さんは座禅瞑想を中心に仏教を広め、人々から慕われる方だったそうです。ある日の事、お堂の中で一人座禅をしている和尚さんが、なかなかお堂から出てきません。しばらくすると、お堂の中より異様な臭いが漂ってきたので、弟子たちは恐る恐るお堂に入り、和尚さんを見ると、なんと和尚さんが居間で座禅を組んだまま息を引き取っていたのです。和尚さんは生前、「自分がもし死ぬ時が来たら、その時は火葬して自分の骨灰を供養して欲しい」という言葉を残していました。かつて和尚さんが、中国において玄奘三蔵に仏教の教えを受けていた時、「インドで仏教を広められたお釈迦様も弟子に火葬にするよう遺言を残して荼毘にふされ、お骨は仏舎利として弟子や人々によって供養され、それとともに生前のお釈迦様の功徳、教えを十方世界に広めた」という教えを伝えられておりましたので、和尚さんは生前にその遺言を残したと考えられています。和尚さんの火葬が終わった後、和尚さんの荼毘を目の当たりにした人々は、和尚さんの遺骨を自分が供養したい、また、供養をする事で自分が和尚さんの教えをより広めていきたい、あるいは自分がいわば和尚さんの代わりになりたい、と強い思いを持ったのですが、その強い気持ちのあまりに、和尚さんの親族、弟子の間では争いが起こってしまい、和尚さんのお骨の取り合いになってしまったのです。この続きは、来月の更新で。