大阪で、納骨・祈祷のお寺

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2012年12月22日

今年の日本は、ロンドンオリンピックで盛り上がり、衆議院選挙で締めくくった一年であった。

ロンドンオリンピックでは、メダルを獲得した競技から、日本人の特異性が感じられた。以下、そう思った理由二点と、その競技をピック・アップする。
1、団体競技が多い(男子体操団体、男子競泳リレー、男子フェンシング団体、女子卓球団体、女子サッカー、女子アーチェリー団体、女子競泳リレー、女子バレーボール)。
2、家族で同じ競技をしている選手が多い(以下、報道などで、把握している選手を列挙)。[体操・内村選手(父母)、加藤選手(父)、レスリング・小原選手(妹・夫)、伊調選手(姉)、吉田選手(父)、重量挙げ・三宅選手(父)、フェンシング・太田選手(父)、卓球・石川選手(母)、福原選手(母)、アーチェリー・早川選手(姉)、柔道・上野選手(姉)、ハンマー投げ・室伏選手(父)など]
以上のことから、日本人が世界の大舞台で活躍するためには、仲間や家族との絆が大きな原動力になるのではないか。
これは、一般的に言われる、日本人が農耕民族であり、共同体の中で生きてきたことに起因すると、私は単純に考えた。

次に、衆議院選挙だが、政党とは、本来、政治哲学が同じ者同士が集まっているはずである。今回、多くの政党が乱立しているのは異常ではないか(政治哲学がそんなにたくさんあるのか)と思い、以下、橘玲著「(日本人)かっこにっぽんじん」を参考に考えたことを述べていこうと思う。
ちなみに、私は、葬儀や供養の意義は、ご先祖、家族、親族、地域社会との絆・つながり・ご縁を深めるところにあると考えているのだが、これは、政治哲学に当てはめれば、共同体主義=保守派ということになるようだ。
これに対して、個人主義を推し進める政治哲学として、日本でも、ここ数年もてはやされているのが、新自由主義である。その根拠は、アメリカの経済学者M・フリードマンによる。その思想は、民主国家が債務の膨張を止めることが出来ない為に、福祉国家という体制が行き詰まり、先進国の共通の病理になっていることに処方箋を与える(北欧の福祉国家は、人口の少ない寒冷地で、住民が一ヵ所(首都)に固まって住んでいて、資源に恵まれている国でしか、成功しないこと示している)。要は、市場原理(競争原理)と民営化を武器に行政改革を行ない、小さな政府を目指すのである。

新自由主義は、小さな政府を目指すがゆえに、国家の枠組みを超えたボーダーレスな世界を目指していると言える。だから、日本人が、新自由主義の社会(自己責任の社会とも言える)を目指すならば、まずは、外国語を習得することが必須条件になるだろう。世界に飛び出して行っても生きていける実力を持ち、また、移民を受け入れて、移民とコミュニケーションを取れるようにもならなければならない。
日本人が、こうしたグローバルな人間に生まれ変われれば、オリンピックで個人種目のメダルを増やせるかもしれない。グローバルな世界で、国ごとにメダルの数を競う意味があるのかという疑問も出てくるが・・・。

別に付け加えると、新自由主義は、格差拡大による福祉・教育・犯罪などの社会不安さえも、新たな市場として市場経済に組み込もうとするために、根本的な批判が困難な思想であり、討論(ディベート)で相手を論破したり、取り込んだりするには、強力な武器になる。その痛快さ、分かり易さゆえ、大衆の支持を受けやすい思想であるとも言える。

私が考える日本人のための仏教(葬儀や供養)の存在価値は、共同体主義的な枠組みに収まってしまうのだが、新自由主義の社会でも、仏教の存在理由は別に出てくると考えられる。
というのも、M・フリードマンの考えでは、新自由主義の社会保障というのは、民間の保険会社に任される一方で、社会的弱者の生活は国家ではなく地域の共同体によって、税金ではなく寄付とボランティアで支えられるという。アメリカはキリスト教による寄付文化が根付いているが故に、こうした社会保障が実現する可能性もあるが、日本では、仏教の教義(煩悩=私利私欲からの脱却や利他・布施の精神など)を根付かせるしかないと思うからだ。