大阪で、納骨・祈祷のお寺

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2011年11月17日

ここ数年、健康おたくになっている。

耳鼻咽喉科、歯科、人間ドックとたて続けに受診したが、別に重大な病気はどこもなかった。年令の割には成績優秀との評価をいただき、今年も又一安心している(人間ドックは3回目)。

ふと、仙崖義凡和尚の、「老人六歌仙」を思いだした。

 皺が寄る 黒子ができる 腰曲がる 頭がはげる ひげ白くなる

 手は振るう 脚はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる

 身に添うは  頭巾(ずきん)襟巻(えりまき)杖(つえ)目鏡(めがね)  湯婆(ゆたんぽ)温石(おんじゃく)溲瓶(しびん)孫の手

 聞きたがる 死にともながる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話やきたがる

 くどくなる 短気(きみじか)になる 淋しがる 心は曲がる 口よだれくる

 又しても 同じ咄(はなし)に 子を誉める 達者自慢に 人は嫌がる

以前、病気に気をつけている話をしていたら、同級生達に、そんな人間程、早く死ぬとさんざん言われた。

しょせん、人は、他人の達者自慢が大嫌いなのである。 

 


2011年11月1日

  儀式、特に冠婚葬祭というと、形式的なもの、堅苦しいもの、世間体で仕方なくやるものといったイメージがある。
 確かに、そういう一面はあるかもしれないが、私は、この度の東日本大震災後に流れたニュース映像の中で、被災地で行われたお盆(葬の儀式)の迎え火・送り火・灯籠流しの様子や、夏祭り(祭の儀式)で太鼓を打ち、踊る人々の様子を見て、非常に救われた気がした。何故ならば、先人より引き継がれてきた伝統行事・儀式が、その土地の人々の心をより強く結び付け、傷ついた心を癒していると、感じられたからである。
 仏教の教えの根本は、縁起の法である。あらゆる現象は、様々な要因によって起こっていて、その原理を観察・理解することで、人間の苦悩を乗り越えていくのが、仏教の教えである。私は、縁起の法には、マイナス価値のアプローチとプラス価値のアプローチがあると思っている。マイナス価値のアプローチとは、一般的な仏教のイメージである。人間の苦しみの原因が、欲望・煩悩であり、その状態を智慧の眼で観察、瞑想し、修行することで、苦しみから脱すること。プラス価値のアプローチは、我々の存在そのものが自然の恵み、先祖の存在、過去の人類より受け継いだもの、社会における様々な人々のおかげで成り立っていることを、慈悲のまなざしで見つめること。自然とのつながり、人々との絆に感謝し、喜びを感じることである。 
 儀式は、縁起の法のプラス価値のアプローチであり、仏教の教えの実践・修行といえるのではないだろうか。我々は、儀式の形式的な面にとらわれるのではなく、古来、人々により受け継がれてきた智慧の結晶としての儀式の側面に、もっと目を向けていくことが必要なのではないだろうか。