大阪で、ぼけ封じ・納骨・祈祷のお寺

  • 亀老山 大聖寺
  • 大阪のお寺
  • 真言宗 不動寺

2011年7月16日

納骨の在り方2

 するとその時、どこからともなくつむじ風が巻き起こって、和尚さんの遺骨を包み、そのまま四方八方へと吹き上げてしまいました。あっという間の出来事でした。それから和尚さんの遺骨はどこへいったのか分からなくなり、人々がどこを探してもかけらひとつ見つける事は出来ませんでした。人々はとても不思議がったそうです。皆さん、どうでしょうか。遺骨をめぐって争いが起こった為に遺骨がなくなってしまったのではないかと、考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、現代の視点から考えましても、この遺骨が消えてしまった、という事をみればなんとも不吉な事であるという印象を受けるのですが、当時の人々はこれを不吉な事とは捉えずに、どこかへ飛び去ってしまったのであるから、むしろ故人が何らかの形で再生したのではないか、と捉えたそうです。そして、この事があってから身内の者が死を迎えた時には、火葬して供養する事によって、寿命や病気、災害や事故などで死に至った苦しみを除き、生前の罪業を清めて霊を天上界へ昇らせ、遺骨を墓に納め供養することにより、生前の苦しみから安らぎを与え、遺骨にも霊が残ることができる。そして、遺骨はまた解脱して再びこの世のなんらかの形に再生していく。この世で供養を施すものに、生きる力を与えるという教えを持つ仏教の儀礼を大切にし、多くの地域にこの火葬と墓石納骨が広まっていったそうです。お墓にはよく、○○家先祖代々と刻まれています。これは、お墓を建立した施主が後世の子孫やご先祖様に対してお参りをする事で、必ず多くのご先祖様がご加護してくださる、という願いが込められています。私達は誰も一人では生きられません。どんなに生活が豊かになろうとも、自分が知ろうと知るまいと、必ずいつも何かに守られているのです。ましてや、いまや生活水準の豊な我が国でも、昔になりますと多くの生命を奪った戦や疫病が起こっていた時代があります。しかし、そんな厳しい時代の中でも、昔の人々は、いったい自分は何のお陰で生かされているのかという意識を持っていたという事が、ご先祖様のお墓をお参りするだけで感じられるような気がします。また、自分達が生きる為に大いなる惠みを与えてくださるという感謝の気持ちを込めて、ご先祖様、仏様、そして、お墓やお寺に対して、祠を建てて、明神様、竜神様などとお呼びして、昔から人々はお返しを施していたのではないでしょうか。現代に生きる私達も、お寺、お墓をお参りする事で、そうした自分が生かされているという感謝の心を持ち、その気持ちをまたこの世の中で多くの人々に伝えていくことが大切なことではないかと感じます。