儀式、特に冠婚葬祭というと、形式的なもの、堅苦しいもの、世間体で仕方なくやるものといったイメージがある。
確かに、そういう一面はあるかもしれないが、私は、この度の東日本大震災後に流れたニュース映像の中で、被災地で行われたお盆(葬の儀式)の迎え火・送り火・灯籠流しの様子や、夏祭り(祭の儀式)で太鼓を打ち、踊る人々の様子を見て、非常に救われた気がした。何故ならば、先人より引き継がれてきた伝統行事・儀式が、その土地の人々の心をより強く結び付け、傷ついた心を癒していると、感じられたからである。
仏教の教えの根本は、縁起の法である。あらゆる現象は、様々な要因によって起こっていて、その原理を観察・理解することで、人間の苦悩を乗り越えていくのが、仏教の教えである。私は、縁起の法には、マイナス価値のアプローチとプラス価値のアプローチがあると思っている。マイナス価値のアプローチとは、一般的な仏教のイメージである。人間の苦しみの原因が、欲望・煩悩であり、その状態を智慧の眼で観察、瞑想し、修行することで、苦しみから脱すること。プラス価値のアプローチは、我々の存在そのものが自然の恵み、先祖の存在、過去の人類より受け継いだもの、社会における様々な人々のおかげで成り立っていることを、慈悲のまなざしで見つめること。自然とのつながり、人々との絆に感謝し、喜びを感じることである。
儀式は、縁起の法のプラス価値のアプローチであり、仏教の教えの実践・修行といえるのではないだろうか。我々は、儀式の形式的な面にとらわれるのではなく、古来、人々により受け継がれてきた智慧の結晶としての儀式の側面に、もっと目を向けていくことが必要なのではないだろうか。