東日本大震災から二年が経ち、原発も含めたこの国の向かうべき方向に、新たな局面が展開される春の訪れである。厳しかったこの冬だが、ここの処の暖かさに、身の回りの草花も確実にその変化を感じ取っている様である。
三月も半ばを過ぎ、もうしばらくすると昼夜の長さがほぼ同じになる春分の日が来る。その日を挟んで前後三日間の一週間を彼岸といい,日頃の慌ただしさを少しうっちゃり先祖の霊に向き合い、想いを馳せる日にしたいものだ。
彼岸は「到彼岸」という言葉に由来し、インドの文語体であるサンスクリットの「パラーミター」を漢訳したもので、迷いのない悟りの境地を意味する。それに対し、我々が生きている煩悩に満ちたこちらの世界を此岸といい、こちらからあちらへ日々努力する事を到彼岸という。やがて彼岸を死後の安らかな世界である浄土と捉える様になり、この風習が定着していったようである。これはまた太陽の動きと関係があり、極楽浄土は西の方向にあると考えられ、沈み行く太陽を見て浄土を想い描き、江戸中期以降に「仏教でいうところの六波羅密の修行」という事で七日間とされ、おおいに普及していったらしい。大阪の四天王寺界隈は、その昔夕日を拝む人々で賑わったらしい。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる様に、此の時期は季節の変わり目。太陽と先祖に収穫を感謝し、豊作を祈るという意味合いにおいて、他の国になく、我が国独自の風習で、農耕文化に根ざし、太陽信仰とも密接に結びついたからこそ、広く定着していったと思われる。
この時期、心しずかに祈りたいものである。