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髪なし007リレーブログ | 永代供養・納骨のお寺なら【大聖寺/不動寺】

2011年12月30日

日本の暦は明治に入り、それまで千数百年使われきた太陰暦に替わり,現行の太陽暦に改められた。日本に中国から暦がもたらされたのは仏教公伝あたりと推測されるが、月の満ち欠けを基にした旧暦は、形を目で見る事によって分かる為便利であったが、一年である程度誤差が出るため廃止されたが、長年の伝統行事の日取りは旧暦のまま残されているものが多くある。

元旦とは元が始まりのことで、旦は朝の意味であり,初めの朝という意味であるが、おそらく東方崇拝から来た言葉であり元日に初日の出を拝する習俗があるのは当然である。大晦日から元旦にかけては、先祖の霊がこの世に戻りそれに感謝し,吉祥を願うと共に再生を求める  時期な訳で祖霊が大晦日に来訪するという信仰があった。昔から屠蘇で祝った後、野山に出て小さな松を持ち帰り、家の戸口を飾ったが、これが門松の始まりといわれる。これは小正月の十五日に取り払われる為、この期間を松の内と呼び、それ以降の一月末までを花の内と呼んだ。十五日を小正月とし、ここで区切ったのは、この日が望月となりこれを元旦とする風習の名残である。

正月も七日の日に、冬枯れた雪解けの野に出て死と再生の象徴である若菜をつみ、神に供え七草粥として体内に取り入れ、亡き人の供養とと一年の息災を祈った。

このように年末年始の風習は、わが国古来のアニミズムや大陸経由の仏教、はたまた遠くはシルクロードで伝えられたペルシャ、エジプトからもたらされたものも多い。

今一度、この一年の終わりと始まりの時期、一時でも心を静かに落ち着け先祖の霊に向き合うと共に、佳き一年となる様に祈りたいものだと思います。

一年間有り難うござました。

 

 


2011年11月17日

ここ数年、健康おたくになっている。

耳鼻咽喉科、歯科、人間ドックとたて続けに受診したが、別に重大な病気はどこもなかった。年令の割には成績優秀との評価をいただき、今年も又一安心している(人間ドックは3回目)。

ふと、仙崖義凡和尚の、「老人六歌仙」を思いだした。

 皺が寄る 黒子ができる 腰曲がる 頭がはげる ひげ白くなる

 手は振るう 脚はよろつく 歯は抜ける 耳は聞こえず 目はうとくなる

 身に添うは  頭巾(ずきん)襟巻(えりまき)杖(つえ)目鏡(めがね)  湯婆(ゆたんぽ)温石(おんじゃく)溲瓶(しびん)孫の手

 聞きたがる 死にともながる 愚痴になる 出しゃばりたがる 世話やきたがる

 くどくなる 短気(きみじか)になる 淋しがる 心は曲がる 口よだれくる

 又しても 同じ咄(はなし)に 子を誉める 達者自慢に 人は嫌がる

以前、病気に気をつけている話をしていたら、同級生達に、そんな人間程、早く死ぬとさんざん言われた。

しょせん、人は、他人の達者自慢が大嫌いなのである。 

 


2011年11月1日

  儀式、特に冠婚葬祭というと、形式的なもの、堅苦しいもの、世間体で仕方なくやるものといったイメージがある。
 確かに、そういう一面はあるかもしれないが、私は、この度の東日本大震災後に流れたニュース映像の中で、被災地で行われたお盆(葬の儀式)の迎え火・送り火・灯籠流しの様子や、夏祭り(祭の儀式)で太鼓を打ち、踊る人々の様子を見て、非常に救われた気がした。何故ならば、先人より引き継がれてきた伝統行事・儀式が、その土地の人々の心をより強く結び付け、傷ついた心を癒していると、感じられたからである。
 仏教の教えの根本は、縁起の法である。あらゆる現象は、様々な要因によって起こっていて、その原理を観察・理解することで、人間の苦悩を乗り越えていくのが、仏教の教えである。私は、縁起の法には、マイナス価値のアプローチとプラス価値のアプローチがあると思っている。マイナス価値のアプローチとは、一般的な仏教のイメージである。人間の苦しみの原因が、欲望・煩悩であり、その状態を智慧の眼で観察、瞑想し、修行することで、苦しみから脱すること。プラス価値のアプローチは、我々の存在そのものが自然の恵み、先祖の存在、過去の人類より受け継いだもの、社会における様々な人々のおかげで成り立っていることを、慈悲のまなざしで見つめること。自然とのつながり、人々との絆に感謝し、喜びを感じることである。 
 儀式は、縁起の法のプラス価値のアプローチであり、仏教の教えの実践・修行といえるのではないだろうか。我々は、儀式の形式的な面にとらわれるのではなく、古来、人々により受け継がれてきた智慧の結晶としての儀式の側面に、もっと目を向けていくことが必要なのではないだろうか。
  


2011年9月12日

 皆さん如何お過ごしでしょうか、最近自ら命を絶つ人が増えています、失恋・借金・いじめ、など色々有りますがそれは、もしかして誰かにためされているのか?

それとも自分自身の心の成長期間なのかもしれません。

 人は一人では生きていけないし、寂しい、その反面、人とのしがらみによって人間関係がうまくいかない事もあります。物事がうまくいかない時や失敗した時、叱られた時に自分を見つめるもので、反省もするし又努力もする、この時に人は心の年輪が一つ増えると私は思います。

 病院に行って見ると小さな子供が必死に生きようとしてる、それを見守る母親も必死です、一生懸命リハビリをする人それを見て自分も、まだまだがんばらなあかんと思います。しょんぼり一日を過すのも楽しく過すのも一日は一日どう生きるかは自分次第、生き方を変えると見方や聞き方も変るものです。小さいろうそくはすぐ消えるが、大きいろうそく(自分の心)は希望の火と成って簡単には消えない、消すな命の炎、貴方を誰かが頼りにしているはずです。

心のリハビリに当山にお参り下さい   

by不動寺 副住職


2011年8月30日

 先日、8月24日に執り行いました地蔵盆はたくさんの方にご参拝頂きました。その時の状況を皆様にお写真にてお伝えいたします。

CIMG0364.JPG

  たくさんのお子さんたちがお地蔵さんの前に並んでいます。

 

縦.jpg 

 

 

 

 

 

 お地蔵さんをお参りして、お菓子を貰っているところですね。

中には何が入っているのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 住職2.jpg今年の地蔵盆はたくさんの方がお越しいただきました。去年までとは違う大盛況振りでした。しかし上の画像を見ていただきますと 

車道にかなり、はみ出ているのがご覧いただけるかと

思います。

お寺の前の道は、バスも通りますし大変危ないです。

 来年からは車道に出ないようにお願い致します。

因みに、右端の紫の作務衣を着た人は当寺の住職です。