大阪で、ぼけ封じ・納骨・祈祷のお寺

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髪なし007リレーブログ | 永代供養・納骨のお寺なら【大聖寺/不動寺】

2011年8月20日

 秋の足音が聞こえてこようかという候、檀信徒様におかれましてはご健勝にてお過ごしの事と心よりお慶び申し上げます。

さて、来る八月二十四日、不動寺、大聖寺両ヶ寺におきまして地蔵盆を執り行います。お子様のおられますご家族の方々はどうぞご参拝くださいませ。日時は下記にご案内させていただきます。夏の暑さも後しばらくでございます。皆様におかれましてもお身体をご自愛ください。

                        合掌

 

させん堂不動寺

日時                八月二十四日  午前十時より

場所                於不動寺本堂

 

別院大聖寺

日時                八月二十四日  午後五時三十分より

場所                大聖寺玄関前お地蔵様の前にて  


2011年7月16日

 するとその時、どこからともなくつむじ風が巻き起こって、和尚さんの遺骨を包み、そのまま四方八方へと吹き上げてしまいました。あっという間の出来事でした。それから和尚さんの遺骨はどこへいったのか分からなくなり、人々がどこを探してもかけらひとつ見つける事は出来ませんでした。人々はとても不思議がったそうです。皆さん、どうでしょうか。遺骨をめぐって争いが起こった為に遺骨がなくなってしまったのではないかと、考える方もいらっしゃるかもしれません。確かに、現代の視点から考えましても、この遺骨が消えてしまった、という事をみればなんとも不吉な事であるという印象を受けるのですが、当時の人々はこれを不吉な事とは捉えずに、どこかへ飛び去ってしまったのであるから、むしろ故人が何らかの形で再生したのではないか、と捉えたそうです。そして、この事があってから身内の者が死を迎えた時には、火葬して供養する事によって、寿命や病気、災害や事故などで死に至った苦しみを除き、生前の罪業を清めて霊を天上界へ昇らせ、遺骨を墓に納め供養することにより、生前の苦しみから安らぎを与え、遺骨にも霊が残ることができる。そして、遺骨はまた解脱して再びこの世のなんらかの形に再生していく。この世で供養を施すものに、生きる力を与えるという教えを持つ仏教の儀礼を大切にし、多くの地域にこの火葬と墓石納骨が広まっていったそうです。お墓にはよく、○○家先祖代々と刻まれています。これは、お墓を建立した施主が後世の子孫やご先祖様に対してお参りをする事で、必ず多くのご先祖様がご加護してくださる、という願いが込められています。私達は誰も一人では生きられません。どんなに生活が豊かになろうとも、自分が知ろうと知るまいと、必ずいつも何かに守られているのです。ましてや、いまや生活水準の豊な我が国でも、昔になりますと多くの生命を奪った戦や疫病が起こっていた時代があります。しかし、そんな厳しい時代の中でも、昔の人々は、いったい自分は何のお陰で生かされているのかという意識を持っていたという事が、ご先祖様のお墓をお参りするだけで感じられるような気がします。また、自分達が生きる為に大いなる惠みを与えてくださるという感謝の気持ちを込めて、ご先祖様、仏様、そして、お墓やお寺に対して、祠を建てて、明神様、竜神様などとお呼びして、昔から人々はお返しを施していたのではないでしょうか。現代に生きる私達も、お寺、お墓をお参りする事で、そうした自分が生かされているという感謝の心を持ち、その気持ちをまたこの世の中で多くの人々に伝えていくことが大切なことではないかと感じます。


2011年6月15日

その昔、道照という和尚さんがおりました。この和尚さんは、遣唐使の随行として中国に渡り、日本に中国の文化を伝え広められた方で、中国にいた頃にかの有名な玄奘三蔵に出会い気に入られて弟子となって、しばらくの間同じ部屋で過ごしインドより玄奘が伝えた仏教の教えを受けたそうです。日本に帰国してから、その和尚さんは奈良の飛鳥寺の南東の隅にお堂を建てて、そこに住むようになりました。すると、中国より持ち帰った仏教のすばらしい教えを学びたいと多くの人々が和尚さんを訪ねたのです。和尚さんは座禅瞑想を中心に仏教を広め、人々から慕われる方だったそうです。ある日の事、お堂の中で一人座禅をしている和尚さんが、なかなかお堂から出てきません。しばらくすると、お堂の中より異様な臭いが漂ってきたので、弟子たちは恐る恐るお堂に入り、和尚さんを見ると、なんと和尚さんが居間で座禅を組んだまま息を引き取っていたのです。和尚さんは生前、「自分がもし死ぬ時が来たら、その時は火葬して自分の骨灰を供養して欲しい」という言葉を残していました。かつて和尚さんが、中国において玄奘三蔵に仏教の教えを受けていた時、「インドで仏教を広められたお釈迦様も弟子に火葬にするよう遺言を残して荼毘にふされ、お骨は仏舎利として弟子や人々によって供養され、それとともに生前のお釈迦様の功徳、教えを十方世界に広めた」という教えを伝えられておりましたので、和尚さんは生前にその遺言を残したと考えられています。和尚さんの火葬が終わった後、和尚さんの荼毘を目の当たりにした人々は、和尚さんの遺骨を自分が供養したい、また、供養をする事で自分が和尚さんの教えをより広めていきたい、あるいは自分がいわば和尚さんの代わりになりたい、と強い思いを持ったのですが、その強い気持ちのあまりに、和尚さんの親族、弟子の間では争いが起こってしまい、和尚さんのお骨の取り合いになってしまったのです。この続きは、来月の更新で。


2011年5月8日

 仏典に次のような話が載っている。四人の妻を持った男が旅に出る事になった。かなりの遠出である。そこで彼は四人の妻に同行を頼んだ。だが第一夫人にはすぐに断られた。 彼はこの第一夫人をすごく愛していた。暑さ寒さにつけ、又、ちょっとした病気にもすぐに医者にみせ、薬も与え入院もさせた。にもかかわらず同行を断られた。 そこで彼は第二夫人を誘った。彼はこの第二夫人を守るため、辛い仕事にも耐え、恥も見栄も外聞も、他人との付き合いも捨てて愛したのに、この夫人にも同行を断られた。 次に彼は第三夫人を誘った。この第三夫人は時々思い出した時だけ、又その付き合いの中で仕方なく愛した程度であったが、彼女は村はずれ迄お送りしますとの返事をしてくれた。 最後に第四夫人、この第四夫人には彼はあまり見向きもしなかったが、彼女だけが彼に懸命に仕えてきた。その第四夫人だけが「喜んでお供をします」と言ってくれたのである。

 そう、もうおわかりのように、男は死出の旅に出ようとしているのである。 第一夫人は彼の身体。 第二夫人は財産。 第三夫人は友人、親類、彼女らは墓送り迄はしてくれる。 そして第四夫人は彼の心である。我々はこの四人の妻の愛し方を間違ってはいないだろうか。

 つまり、無理をしないで自分の気持ち(第四夫人)を大切にして生きている人が質の高い生き方をしているのである。第二夫人をもちながら心の落ち着かない人もいる。彼女を守る為に真の第三夫人を失う者もいる。うわべだけの第三夫人との付き合いでノイローゼになる者もいる。

 所詮我々は第四夫人とだけしか旅に出れないのである。


2011年4月17日

 世界の国の人々の宗教観の調査では、日本人は、無宗教だが、宗教心はあると答える人が多いそうだ。
 私は、日本人の宗教心は、自然崇拝と先祖供養によって育まれてきた、と思っている。
 自然に畏敬の念を抱き、先祖へ感謝の想いを向け、空間と時間の拡がりの中で、自己の存在価値を実感していくこと。そこで得られる安心感こそが、日本人の持つ宗教心の本質なのではないか。

 自然崇拝に基づく祭礼に参加すること、先祖供養の実践であるお葬式、年忌法要、お盆やお彼岸の供養が、心の平安を取り戻す、大切な宗教行為であると思う。

 私は、坊さんとして、自らを無宗教だとして宗教に束縛されたくない、現代の日本人の気持ちを尊重しながら、少しずつでも宗教心を育んで頂けるお手伝いが出来ればと思っている。