大阪で、納骨・祈祷のお寺

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髪なし007リレーブログ | 永代供養・納骨のお寺なら【大聖寺/不動寺】

2011年3月19日

3月11日午後、未曾有の激震が東北関東地方を襲い、被害の状況が明らかになるにつれその映像に只々驚かされるばかりで余りの惨状に本当に言葉が有りません。被災された方々には心からお見舞い申し上げるともに、亡くなられた方々のご冥福を心より深くお祈り申しあげます。列島全体が深い悲しみに沈み、国民一人一人の心に深く刻み込まれ、私達が普段当たり前に送っている生活を足元から揺るがし、価値観の変換を迫る重大なものと成りつつ有ります。又、被災された方々の心を思うと私達は、胸が張り裂ける様な思いにとらわれますが、しだいに各地から応援物資が届けられ、励ましのメッセージが続々と送られている様子に熱いものがこみ上げてくるのは皆さんも同じ気持ちではないでしょうか?

 確かに17年前の阪神・淡路大震災以来、阪神間に住む私達には、当たり前の日常や命というものの尊さを深く感じさせられ、価値観を大きく揺さぶられて来たと思います。

 祈るという人の行為が宗教という枠の中だけでなく、アカデミックな場で学問され、検証可能な科学として研究されていると聞いていますが、又心を持った人のその祈る姿に以前より心動かされてきた様に思います。遠く離れたここ関西の地で今私達に出来る事は、深く呼吸をし、心を落ち着け、祈る事ではないのだろうかと思いました。人々の清らかな慈しみ、励ましの波動は必ず届き、被災地の人々を励まし癒す事でしょう。

 間もなくお彼岸が来ますが、日々の生活を新ためて見直し、目には中々見えないですがさまざまなものに思いに手を合わせるそんな祈りにしたいものです。

 


2011年2月15日

今年の節分は暖かく過ごしやすい一日でした。とはいいつつも、この文章を書いている時は大阪で何年かぶりの積雪で、寒い一日となっております。ブログの更新をする頃には少し暖かくなっているそうですが・・・皆さんも体調には十分お気をつけ下さい

さて、私自身この数日どのような事をブログに書こうかと考えておりましたが、普段口に出してお話していることを、いざ文章にしようと考えますと、これが中々難しいものです。

真面目すぎると読む気にもなれませんし、かといってあまりに砕けすぎてお坊さんの話から脱線するのも、、、どうかな?(あくまで持論ですが・・・)と考え試行錯誤しておりました。

 そんな時ふと思ったのが、今のこの私の状態を文章におこして書こうと考えたわけです。言葉を文章にして書くことも、言葉を喋ることも大事なことだと考えたからです。

言葉というのはコミュニケーションをとる方法のひとつです。気分を善くしたり、気分を悪くしたりと様々な言葉があるわけです。やはり「言霊」という言葉もありますから、言葉には魂がこもっています。

 ですからみなさんも人にしゃべるときと同じで、仏様に語りかけていくことを心がけてみてはいかがでしょう?

まず、一日のはじまりとして、朝起きて、の簡単な身支度をした後お仏壇に向かって下さい。その時は、お仏壇にお供えしているお水、お茶の方はお茶、お花の水を替えて下さい。その後お仏壇の前に座り、お線香、おろうそくに火を灯して、仏様に朝ですから『おはよう!!』と元気よく挨拶して下さい。続けて何でもよいので一言、言ってみるとよいと思います。

今までお経を習慣として唱えておられた方はお経を唱え終わられた後に挨拶や一言を言いましょう。夜も同じように挨拶や一言、今日一日の出来事など語りかけてみてください。

 やはり言葉というのは私たちにとってかけがえのないもので、人の気持ちは言葉を声に出す事で解ります。仏様も同じで、「心に思っているから大丈夫」では伝わりにくいのではないでしょうか?声に出していうことこれが大事なのであり、今現在、核家族化の進んでいる今の世の中には大事なことだと私は考えます。言葉を声に出して発することが人と人との繋がりを作っていくわけです。

 すべての事柄においてもまずは簡単なところからはじめる、今まで硬く考えていたことから、肩の荷を降ろして色々なものに触れていってみてください。供養事、仏様の事も難しく考えず何気ない気持ちで触れていって下さい。

 供養事を難しく考えすぎて、みなさんが苦痛に思ってしまっては仏様も喜ばれないでしょう。供養だからこうだ、仏様だからこうだ、だからしなければいけない、ではなく自分の生活の一部であると考え供養させていただく、と考えて頂きたいです。どうぞ皆様も難しく考えないでください。

来月のブログ更新の頃は春のお彼岸が近くなり暖かくなっていることと思います。どうぞ皆様におかれましてはお体をご自愛いただきますよう心よりお祈り申し上げます。

合掌

 


2011年1月19日

明けましておめでとうございますm(__)m
と言いつつもうすでに新年明けて二十日も過ぎてしまい、うっかり更新するのを忘れていました。
皆さんはどのようなお正月を過ごされましたでしょうか?新年明けて雪で大変だったり、ランドセルが置いてあったりと、まぁ〜今年も色々ありそうですがハリキッテまいりましょー。

さてさて、真言宗の寺院においてお正月に続いて次の催物は『節分の星祭』でございます。

この二月三日前後は、旧暦(大陰暦、月の満ち欠けに基づいて作られた暦)において正月にあたり、一年の始まりに今年一年間の運勢を祈願するものであります。
なぜ星祭と呼ばれているかというと、自分の生年月日の星、生まれたその日の星(これを本命星と言います)と、その年の星との関係性で一年の運勢に影響があると信仰のもと、相性の悪い星は良くなる様に、良い星はさらに良くなる様に祈願するものであるからです。

この星祭りは宿曜経を根拠とし本尊は北斗七星であり、妙見菩薩であります。

城東区諏訪の不動寺では二月三日の午後の二時より節分星供厄除け護摩を修法致します。
また、終わってもちまきも行われ賑やかにやっておりますので、皆様お誘い合わせの上お参りくださいませ。

近年、都市部では星を見ることが出来なくなり、また人々も星を見上げることもしなくなりました。昔の人は星を見ることで宇宙と地球、または自然のバランスを感じとり、生活の中においての安寧を求めてきたのです。
二月三日の晩に巻きずしをただ食べるのではなく、外へ出て古人達が見ていた同じ夜空を見上げて祈りを捧げ宗教感に浸ってみてはいかがでしょう?

風邪が流行っていますので十分気をお付けてください。
合掌


2010年12月17日

お寺もホームページを作る時代になりました。時代に合わせて生活や宗教のあり方も変わりつつあります、誰もが昔は良かったと言いますが過去に戻る事など誰も出来ません、今をどう生きるかと言うことを考えなければなりません。「時の流れに身をまかせ」と言う詩のように、自分がどうあがいてもどうにも成らない時もあります、そんな時こそ、身をまかせるしかないのではないでしょうか。自分の考えが全て正しいかどうか、時にはまわりの人の意見を聞くことも大事なことだと思います。あわてず、あせらず、柔軟に身をまかせることが出来たなら、まわりを変える前に先ずは、自分を変えてみる、そうすると自然にまわりも又自分もきっと流れが変わるはずでしょう。晴れた日ばかりではない、雨の日も日々ちがいがあるから面白い。人生色々同じことの方が少なくて当たり前、転んでも自分で立ち上がる勇気も必要です。心に雲がかかった時には、させん堂 不動寺にお参り下さい。
自分の何かが変わるのでは。